あいたむblog

ワインと音楽とアートと写真が好きなあいたむの日常。 たまたま見つけた誰かのために残しておくメモ。

カテゴリ: ミュージアム



仰々しいタイトルに敢えてしてみたくなるくらいアッサリと、今年のベストが決まりそうな勢い。

カッサンドル展



『キュビスムやバウハウスから影響を受け、1920年代に制作した幾何学的でダイナミックなポスターは、時代の先駆的な表現として、グラフィックデザイン界に「革命」とも言うべき大きなインパクトをもたらしました。カッサンドルのポスターに共通する壮観な構図とスピード感は、機械と大量消費の時代をまさに体現していたのです。』

今回展示されていた作品の中でも一番心を打ったのは、《ラントランジジャン》1925年という作品。
放射線が他人の耳を介して中心の人の耳の中に繋がる、とても目を引く作品だ。

新規創刊する夕刊の広告だが、人々の声を繋げて耳に届けるということを図形化している。

シンプルかつ明確なメッセージをいかに図形化するか?という試みは、スマホの小さなスクリーンにおいても常に試行錯誤を繰り返していて、終わりのない回答を求めて彷徨っている。

彼の言葉で、
どこまで突き詰めて研究したのか。理論のない作品に説得性はない。
という趣旨のことが書いてあった。

表現としていかに確立させるか、新しい概念を生み出すか、ということの研究の積み重ねの結果に無駄を削ぎ落としたミニマリズムが存在することを改めて、90年前のポスターから読み取った。

特に同じパターンのポスターの連続性が生み出す立体感や主張が人の視線にどう影響するか?は、本当に課題だと思うし、もっと学ばなければならない。

ただなんとなく、みんながトレンドだと言ってるから、ではなく、理由を突き詰めて考えたい。

とても学びの多い展示だったので、本当に心からオススメします。

カッサンドル・ポスター展 グラフィズムの革命
2017.2.11 [土・祝] - 3.26 [日]

休館日 月曜日 (3月20日は開館)
開館時間 10:00 ~ 17:30 (入場は17:00まで)

観覧料
一般1000円 (800円)、大高生800円 (640円)
※( ) 内は団体20名以上の料金。
※中学生以下、障害者手帳をご提示の方 (付き添いの方1名を含む) は無料です。

主催 埼玉県立近代美術館

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いつも楽しく拝見している
弐代目・青い日記帳 
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=4579
さんの
2016年 展覧会ベスト10を拝見し、
自分もとても心に残った展覧会について、
書き記しておこうと思います。 

とはいえ、順位をつけられるような審美眼は持っていないので、
また見に行きたい展覧会だった、という観点で
考えてみました。
個人的に思い入れがある埼玉県立近代美術館の企画展と、写真展が多いです。 


・「カマキン」最後の展覧会 鎌倉近代美術館 鎌倉館
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2015/kamakura_part3/

DSC_0233

閉館前のラストの展覧会。
日本で最初の公立近代美術館として、意欲的な展示と収集・保存を行ってきたことが、
コレクションから浮かび上がるような、本当に素晴らしい展示でした。
研究・収集・展示・保存…美術館の原理原則について、熱意のある活動を行ってこられたことが、
浅い自分でも理解できました。

・原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし 埼玉県立近代美術館
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=327
1ヶ月強の会期の短い展示でしたが、とても話題になっていました。
そして、36歳という若さでこの世を去った作家の、意欲的な作品の数々に、
100年ぶりの個展という事実に、胸を打たれました。

・ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて 埼玉県立近代美術館
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=330

ラルティーグの160点のプリント。
1/3は本当に幼少の頃の、ドキドキするようなワクワク感のある記憶の瞬間の連続。
それは彼の個人的な体験のはずなのに、
なぜかとても普遍的な子供時代の記憶のように自分ごとの映像として
追体験できるのが何故なんだろうと思いました。
いつまで見ていても飽きない、とても楽しい時間でした。

・ライアン・マッギンレー BODY LOUD !  東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/exh187/
日本の美術館では初の個展だったそうです。
オペラシティのギャラリーのとても広々とした透明な空間の中で、沢山の人々の裸を見ました。 
とても不思議な体験でした。
極限状態の中に置かれた裸体は「人間」のそれではなく、
時に単なる物質的なものに見え、
時に神や妖精のような神々しさもありました。
洪水のような裸のポートレートは、「人間であることの肯定」
という真逆の印象を受けました。

・木村伊兵衛 パリ残像 美術館「えき」KYOTO
http://www.kyotodeasobo.com/art/search/museum/isetan/kimuraihee-paris#.WGf1wraLTHc

IMG_2213

木村伊兵衛がブレッソンやドアノーらと一緒にパリを歩いて撮影した130点の写真群。
撮影時期は1954年、55年。
フランス特有の言葉で「フラヌール(遊歩者)」という概念がありますが、
とてもシンプルな目線でパリの日常を切り取っています。
自分は、自分には、多分撮れない。本当にそう思いました。
今から70年位前の人が、しかも東洋人が、こんな風に街並みを、
人々を透明な心で撮れるものなんだろうか…。
そんな風に思いながら見ました。

・KYOTOGRAPHIE 2016 Circle of Life|いのちの環
http://www.kyotographie.jp/2016portal/outline
IMG_2313
KYOTOGRAPHIEは正しくはKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2016 という名称であり、
写真がお好きな方は時間があればぜひお勧めしたいイベントです。
個人的には、アルノ・ラファエル・ミンキネン氏の
YKSI: Mouth of the River, Snake in the Water, Bones of the Earth
が非常に印象に残りました。
マッギンレーの表現するヌードとはまた異なる表現のヌード。
そして建仁寺 両足院を舞台にした展示が死生観をより一層際立たせ、
とても神秘的な印象をもたらしていました。

・ガレの庭 花々と声なきものたちの言葉 東京都庭園美術館
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160116-0410_galle.html
エミール・ガレの展覧会は毎年なんらかの形で開催されているかと思いますが、
今回はオルセー美術館蔵のガレのデザイン画も同時に公開されるとあって、
貴重な展示が多数ありました。
また、庭園美術館のアールデコ建築にぴたりと合致する作品たちは、
白い展示室に置かれる以上に、見事な調和をもたらしていて、
贅沢な時間を過ごすことができました。

・PERFORMING FOR THE CAMERA TATE MODERN
http://www.tate.org.uk/whats-on/tate-modern/exhibition/performing-camera
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前回も書きましたが非常に見応えのある展示でした。
カメラのために演じるということ、パフォーマンスするということは、どのような効果をもたらすのか?
翻って、撮影者と被写体と鑑賞者という三者にどのような影響をもたらすのか、どういう影響をもたらしたいのか、ということを深く考えるきっかけになりました。
写真には現実でありながら、虚構の世界を作ることができるということ、
簡単に自分以外の誰かになれるということ、
自分の中の何かを引き出すことができる装置だということ、
そんなことを考えることができるようになりました。

・ トーマス・ルフ展 東京国立近代美術館
http://thomasruff.jp/
image

こちらもこの前書いたけど、やっぱり後からじわじわくるというか、
またもう一度みたい展示でした。
来年金沢21世紀美術館で再度展示されるということで、また展示室の作りも異なる空間で
(円形になっているあの空間で)
どのように作品の印象が変わるのか、自分で見てみたいな、という気持ちになりました。
わかりやすいテクノロジーとの融合という観点とは少し異なる視点で、
こじらせている感じの雰囲気、好きです。

・ 杉本博司 ロスト・ヒューマン展 TOP MUSEUM
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2565.html
杉本さんのインタビューを見つけたのでご紹介します。
http://www.topmuseum.jp/contents/images/eyes/eyes87.pdf
メディアに対する考え方について、今年は様々な形で、アーティストや美術館の展覧会側が
こういう道筋なのではないか…ということを提示していたような気持ちになります。
或いは、自分が知らず知らずのうちにそのような展示を求めていたのかもしれません。
今まで普遍的にあったものが或る日突然消えてしまうことは特別なことではなく、
日常の延長線上に可能性として存在していること。
そして自分たちもまた消滅する運命にあること。
その時にただ、メディアだけは、ゆらゆらと残り続けていくんだな…
そんなことを考えました。

振り返ってみると本当に写真展ばかりでした。
というか写真展がとても良かったと思ったのです!

行列になる人気の展覧会にも足を運んだのですが、より印象が深く残ったのは上記でした。
2017年も空き時間を見つけてちょこちょこ来訪してみようと思います。 

今年は色々な所の写真の展示を見に行きましたが、自分の中で1つ選べと言われたら、これを選びます。

Serious performance art, portraiture, or simply posing for a photograph… what does it mean to perform for the camera?


TATE MODERNで開催された
Performing for the camera
という展覧会。
写真技術が誕生した時代から1960年代のハプニングアート、そして現代のセルフィーまでを題材にしていました。
500点もの作品展示は、本当に見応えがあり、2時間以上かかりました。
イヴクラインや草間彌生など、パフォーマンスアーティストが写真をどう使ったか?
と、
写真家が写真というツールでどうパフォーマンスをしたか?
ということがテーマになっています。

特にセルフポートレートの展示が面白かったです。
日本人の写真家の方も沢山ありました!
細江英公さんのかまいたちのシリーズはまるまる一部屋使って紹介されていて、あの時代の日本人写真家に対するヨーロッパ側の評価の高さを改めて感じました。
深瀬昌久さんや東京るまん℃さんの作品もありました。

またナダールのコスチュームポートレートの写真もあってすごく貴重な作品を沢山見ることができました。

最後にInstagramの展示があって、それがiPadでご自由に見てどうぞ、て感じだったのが、面白すぎました。Amalia Ulmanというアーティスト兼インスタグラマーを紹介してるのですが、彼女が3つのペルソナを表現することで、フォロワーからの視線、承認欲求…などをシニカルに演出していました。

ここまで大規模な展覧会は日本ではまずできないので、本当に行けてよかっだと思いました。
そして何のために写真を撮るのか、そこにどんな意味をつけるのか、を考えて撮ることの大事さを改めて感じました。



東京都美術館で開催されていた
ゴッホとゴーギャン展に行ってきました。
観に行ったのは10月の下旬でしたが、色々考えすぎてしまって文章にすることができませんでした。


この2人は1888年に南仏アルルで短い共同生活をしており、彼らの作品や周辺作家の作品60点ほどが展示されておりました。

印象派関連の作家たちは盛んに交流があり互いになんらかの影響を受けながら独自の価値観によって手法を確立していったと考えているので、この2人のみを取り上げるのは何となく違和感がありました
ですがゴーギャンの作品は個人的に興味があるので、行ってきました。

今回は音声ガイドを借りてみました。
小野大輔さん(ゴッホ役)と杉田智和さん(ゴーギャン役)という若い人たちに人気のある 声優さんが担当しているとあって、比較的若い方たちも音声ガイドを利用しているように感じました。
こんなかんじです。↓(サンプル音声あり)
http://www.acoustiguide.co.jp/whatsnew/whatsnew.html#goghgauguin
個人的にはあまり音声ガイドを聞きながら作品を見るのは好きではないのですが、 今回はどんなかんじになっているのか興味がありました。
対話形式になっているので物語のようで面白いと感じましたが、やっぱり集中できない。。。

 展示の中で特に初期の作品は2人の対比を強く感じることができて印象に残りました。
特に本格的に画家を志した頃に描かれたゴーギャンの<<自画像>>は、慣れないコペンハーゲンの土地で36歳の頃の苦闘を感じ取ることができ、図らずも感情移入してしまいました。
株式仲介の職に就き、新興ブルジョワジーとして、比較的裕福な生活を送りつつ、絵画への情熱との間で悩み、とうとう仕事を捨て家族や批評家から逃げ、自分の理想を追い求めた…
文字にすると破天荒ですね。

自分はゴッホについてはあまり知識がありません。
ただ初期の頃の暗い色調で労働者の生活などを描いていた頃と、パリや南仏での生活時代の生き生きとした躍動感のある筆致は全く異なり、無邪気さを感じ取りました。
彼の有名な作品が比較的中期のものが多いのは、彼の比較的安定していた時代だったからかもしれません。

短い共同生活後の2人の作品もかなり見応えがあり、特にゴーギャンのタヒチ時代の作品は彼の個展でも中々出てこないものも多く初めて見る作品が多くありました。

2人の作品以外にも、彼らと交流があった画家モネやピサロ、シスレーなどの作品がが何点かありました。初期の彼らに影響を与えたとされている印象派の画家たちの作品も鑑賞でき、彼らとの関連性を感じ取ることができました。

印象派の作家は相互に関連して互いの作風に影響を与えているので、この2人にフォーカスがあたるのは少し違和感もありましたが、それでもゴーギャンの初期の作品を今のタイミングで見ることができて嬉しかったです。

個人的に今年1番衝撃を受けたと言うととても薄っぺらい印象になってしまうのですが、
面食らってしまった展覧会の1位は旧東京都写真美術館、現TOP Museumの「杉本博司 ロスト・ヒューマン展」です。

杉本博司は1970年代からニューヨークを拠点とし、〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉などの大型カメラを用いた精緻な写真表現で国際的に高い評価を得ているアーティストです。
近年は歴史をテーマにした論考に基づく展覧会や、国内外の建築作品を手がけ、空間デザインや寺社仏閣のリノベーションのプロジェクトや舞台とアートの融合に参画されるなど、幅広い分野で活躍されています。
自分の周りに杉本さんファンが多いので、好意的な視点で見てしまいますね。


この展覧会では3部構成の形を取っています。
シリーズ<今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない> 3階展示室

「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という杉本自身のテキストを携え、文明が終わる33のシナリオ(《理想主義者》《比較宗教学者》《宇宙物理学者》など)と共に、遺物と化した歴史や文明についてのインスタレーションを巡り歩きます。
これは2014年パレ・ド・トーキョー(パリ)で発表し、好評を博した展覧会"Aujourd'hui, le monde est mort [Lost Human Genetic Archive]"を東京ヴァージョンとして新たに制作したものです。
自身の作品や蒐集した古美術、化石、書籍、歴史的資料等を33のシナリオと共に展示しています。
現実にはありえないと一笑してしまうような滑稽な物語を連続して見ているうちに、
固定概念の上に成り立つ文明や認識、現代社会について再考する瞬間があります。

面白いのがこれらのシナリオの文字ですが、33人の異なるアーティスト、芸能人、作家、建築家…などに協力していただいて文字を書いてもらったそうです。

このインパクトが強烈過ぎて、私は写真作品を見にきたのにブラックユーモアの遊園地に来てしまったのか、、、と錯覚してしまうほどでした。

シリーズ<廃墟劇場> 2階展示室 
<廃墟劇場 Abandoned Theater>は、1970年代から制作している<劇場>が発展した新シリーズ。
アメリカ各地の映画鑑賞環境の激変などから廃墟と化した映画館を探し出し、スクリーンを張り直し、作家自ら歴史の終わりを主眼に選んだ映画を投影し、上映一本分の光量で露光した作品。撮影時に上映した映画について、作家自らの解説文が付されています。

8×10大型カメラによる長時間露光。
1回で撮ったのか、何度も撮り直したか…は分かりませんが、そんな発想全く思い浮かばない。
スクリーンに映るのはすべて「真っ白」な空間。
かつて栄華を極めた映画館という娯楽の空間が、現代においては廃墟と化し、いずれ忘れ去られてしまう。
朽ちていく空間と、白く輝くスクリーンのアンバランスさ。
そして、暗室のように暗い展示室にピンライトであてられた照明。
「映像」という技術が世に生まれてから、時を越えていくほどに、インスタントなものに、普遍的なものになり、もはや「箱」が必要なくなる…。

今回の作品展示には「時間」という概念を強調するような作品が多かったです。

シリーズ<仏の海> 2階展示室
京都 蓮華王院本堂(通称、三十三間堂)の千手観音を撮影した<仏の海>の待望の大判作品による新インスタレーションです。
神聖化された寺社仏閣においては基本的に撮影禁止が多いですが、7年かけて撮影交渉をされたそうです。
一面に並べられた観音像の数の力に圧倒されました。
三十三間堂なのかな、と気づくまでに、暫し時間がかかりました。
「廃墟劇場」の裏側に展示されていたのですが、ひんやりとした空気が、より一層作品の持つ静謐さを協調しているようでした。
超平面的な世界の中に見る極楽浄土。
かつてメディアという媒体がない時代に生きていた自分たちの祖先は、仏像や曼荼羅を通じて過去と現在を見据え、死後と言う未来に希望を馳せた…
巡り巡って絵画から写真、映像という技術革新の末に大量消費社会が到来し、それから150年程が経った時代に生きている私たちの時代に起きているデジタル化という事象。
イメージはいくらでも加工し変化を加えることができると生まれながらに知っている世代ではありますが、それでも時の流れは止めることができない。
全ては固有のものではなく過ぎ去るものである。
そんなことを、この展覧会を通して感じました。

杉本さんのインタビューがこちらに載っているので興味のある方はぜひ。。

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