今年読んだ本の割合としては、30%写真系(図録や写真集も含む)、30%哲学入門系、30%美術系、10%そのほか、でした。

そのうち、写真系の本の何点かは、多少は自分の言葉で伝えられるかな・・・。
という位には読み込むことができたので、何点かご紹介したいと思います。
第1弾はこちら。

飯沢 耕太郎
河出書房新社
2009-12-11






著者の飯沢耕太郎氏は日本の写真評論を牽引する写真評論家です。

本作は「写真とは何か」という問いに対し、瞬間を切り取る行為を「神話的想像力」「死者(あるいは死、瞬間を殺す)」と結びつけ論じています。
また、写真史における代表作品を読解し、写真表現の魅力と可能性を展開しています。

目次(章タイトル)は以下のとおりです。

序 写真と神話的想像力
1 切断と反覆
2〈写真ショック〉のゆくえ
3 モノに憑かれた写真家たち
4 イポリット・バヤールの呪い
5 コスチュームとしてのヌード
6 寄り添いの作法
7 もう一つの風景写真──柴田敏雄論
8 沖縄の地霊(ゲニウス・ロキ)
9 写真と死者
あとがき

写真の誕生という内容の中で、原理の説明・進化等を体系的に論じられています。

著者の主張で特に印象に残ったのは「沖縄の地霊(ゲニウス・ロキ)」の章における2002年7月6日から28日まで浦添市美術館で開催された「東松照明展:沖縄マンダラ」でのパネルディスカッションの記述です。
東松照明、荒木経惟、森山大道、中平卓馬といった日本を代表する写真家と、島尾伸三、石川真生、石内都、比嘉豊光という沖縄出身の写真家達の言葉の対比は、外側から見た「表象(イメージ)の画」と内側から見た「現実(リアル)な画」の差異を語っています。

暴力的なまでに強烈な「生の沖縄」は次の瞬間には死んでしまうような危うさをはらみ、上側だけ掬い取るような意図ではけして撮ることができない一方で、幻想的な神話性が増す作品を撮ることは、中にいると見えてこないのかもしれないと感じました。

同様の感想を、同じく沖縄出身の写真家である石川竜一の『絶景のポリフォニー』に見たことを思い出しました。彼の作品も暴力的なまでの生の記録であり、大和的視点における『沖縄』という文脈からの境界線を感じたのです。

写真技術という一見誰もが手軽に扱える道具。
作品の中に存在する個々人の想像性、「見る=考える」という行為に写真作品の醍醐味があるということ。
「切断」する側の視点により全く異なる映像として存在し、増殖し続けます。

被写体に対しての意味づけをする行為により作品に新たな存在価値を見出す過程と、受け取る側がどう感じるか。
各々が持つ「神話的想像力」の重要性を実感しました。