あいたむblog

ワインと音楽とアートと写真が好きなあいたむの日常。 たまたま見つけた誰かのために残しておくメモ。

カテゴリ: PHOTO

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今日は祖父の19回忌でした。
祖父はカメラが好きな人でした。
国鉄職員で教官をしていた祖父はメカニックが好きな頑固者でした。
怖い人、とみられていました。
でも孫の自分を、彼なりに大事に愛してくれました。
彼が好きだった街の一つは浅草で、去年その街をテーマに写真集を作りました。


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生前わからなかった彼のことを、写真を通じて感じ取るようになりました。
シャッターを押せば誰でも何かは写すことができる機械。
いつ、なにを、どう切り取るか、で出てくる絵が変わる不思議な機械。

自分が望む姿形を取り出すことはまだまだ遠いけれど、カメラがあれば、いつでも彼と対話ができる。
そんな機械を残してくれてありがとう。



すごく好きな写真家の石川竜一さんの新作展示が、京都の銀閣寺近くの劇場で開催されているということで、行って来ました。

"この度、地点と赤々舎は、石川竜一写真展『草に沖に』を開催いたします。

共に京都に拠点を置く、劇団「地点」と出版社「赤々舎」の初めての共同プロデュースとなります。"


ということで、場所はもともと舞台をしている劇場。期間限定でギャラリーとなっています。




今回の作品は、草。
それも路上に自生している雑草です。

本当に面白すぎる観点ですが、劇場内のファンタジックな雰囲気とフレームに飾られた比較的小さめなプリントは一見お洒落な感じでした。
しかしそれを取り囲む、大きく引き伸ばされた人々のポートレートは、どぎつい個性で、圧がすごいです。
私はこの人の作品と対峙すると、睨めっこのように、こちらが降参するまで目を逸らさずに見続けてしまいます。
人々の瞳にものすごいエネルギーを感じるのです。

果たして草は…。

一見すると路傍の花のような雑然とした草。
しかしよく見ると、やはり石川さんらしい、不思議な生きる力に満ちた草。
権力や名声とは真逆の場所にある、道端の草の写真。
素敵な木のフレームに収まり、お洒落に陳列されているが、何処かから飛んで来て生かされている、草。

それはとても面白くて、何処に行くにもカメラが無いと落ち着かないと前に語った石川さんらしくて、いくら見てても飽きないです。

京都に行く機会がある方には本当にオススメしたいです。KYOTOGRAPHIE関係ないけど。


地点×赤々舎 石川竜一写真展
『草に沖に』
 
会期: 2017年3月25日(土)〜4月25日(火)
13:00-20:00 会期中無休 
*3/25土は18:00よりOPEN
入場無料
 
会場: アンダースロー 京都市左京区北白川久保田町21地下 

■京都市営バス17・203系統、5・204系統「銀閣寺道」下車→徒歩約1分
*JR京都駅からはバスターミナルA2のりばより17系統へのご乗車が便利です 

■京阪「出町柳駅」出入口7番下車→徒歩約25分
■出町柳駅よりタクシー利用の場合→所要約5分、800円程度




毎年サポートスタッフで参加している、KYOTOGRAPHIEが今年も始まりました。




今回のテーマは『LOVE』

『愛』と呼ぶ感覚や概念は、個々のバックグラウンドによりそれぞれ異なります。

愛に対するイメージは一人一人異なる。
どんな形であれ、欲望であれ、誰しも何かに愛を感じている。
定性的な感情を作品として残し、他者の愛を写真と古都の空間の中で読み取るという行為はとても素敵だと思います。


個人的に気になっているのは、二条城で開催しているアーノルド・ニューマンの『マスタークラス』と、建仁寺 両足院を会場にした荒木経惟の『机上の愛』です。
特に両足院は昨年のアルノ・ラファエル・ミンキネンの作品のインパクトが熾烈だったので、今回はどんな展示になっているのか楽しみです。


また、ギャラリー素形を会場にしているジャダ・リパの『The Yokohama Project 1867-2016』も、中々に興味深く、是非見ていただきたい…と思います。

この会場は入場無料です。

ということで是非来てください!

今年は5/14まで開催しています。

『愛』については長年自分にとって因縁めいた呪縛であり、肯定的な印象を持てませんでした。
そんな人間が作品を作るという行為に挑戦した時に行き着いたのは、祖父のカメラ愛と彼の思想への理解という私なりの愛情でした。

圧倒的な作品群に多くを学び、半ば思考停止中の作品制作を、非常に悩みながらもじりじりと密度を濃くしていくために、本格的に再始動させなければ…と考えています。




今年の目標。
フィルムで写真撮る。

自分が写真に興味を持ったのは、やはり祖父の影響が大きい。
自分の祖父はカメラが大好きだった。
亡くなって遺産整理でかなり早い段階でコレクションされたカメラは売却されてしまい、ショックが大きかった。
失意の中、たまたま開けた引き出しの中に
(絶対にそんなところにカメラがあるはずないのに)
見つけ出したOLYMPUS 35 RC。
不思議に思って、こっそり持ち出した。

そのカメラを手にしたまま、ずっと使っていなかったのだけど、
一昨年赤城耕一さんから、
「せっかくだからそのカメラで撮ってみなよ。」
と言われ、
去年MOTOKOさんから、
「あなたにはフィルムが合っているのかもしれない。」
と言われ。

奇しくも去年はプレビューによる恐怖を味わい続けていたので、
その場で確認できないことは、自分にとっては気楽に思えたのだった。

前に書いた恵比寿の大沢カメラでフィルムを買って、少し見てもらったら
電池で動く部分はもうだめらしく、絞りもF8以上は開かなくなってしまっているらしい。
そこで新宿のオリンパスサロンでこのカメラが実際に動くのか見てもらった。

シャッターは切れそうだったけれど、フィルムの入れ方もよくわからないので、
教えてもらおう、と思った。

45年前位のカメラを持って行って、動きますかね?
なんて、よく考えたらおかしい話だけれど、
オリンパスの社員の方はとても真面目に見てくださった。

マニュアル撮影ができるカメラなので、
多少いろいろいかれてしまっていてもなんとか撮影はできるようだった。
 
自分にとってはF8だと暗いな〜。。。って少しがっかりしたけど、
逆にシャッタースピードやISOでなんとか調整すれば、曇りや晴天なら撮れるような気がした。
そして色々覚えるいいチャンスになるだろうと考え直した。

実際にシャッターを押してみると、
もうそこにはいない祖父が、
カメラと一緒に側にいてくれるような、不思議な感覚に陥った。

自分が求めていたことは、こういうことなのかもしれないと思った。

2017年の目標は、
フィルムで写真を撮ること。
そして、今まで絵空事で終わらせていた「夢」に一歩でも近づくこと。
いつか、日本のいろんなところに住んでいる、たった一人で生活している、年老いた人々にとって、一瞬でもいいので、これがあって良かったねって思ってもらえるものを作りたい。
それはサービスでなくてもいい。
この5年ずっと同じことを考えていた。
それはなんとなく今のウェブサービスの主流の概念とは少し違うのかもしれないとも思う。
でもやってみたい。
できるかどうかは全く分からないけど
言葉にしていくことで、どこかの誰かが拾ってくれることを、何となく分かっているから。
そういう風に思えたのも、写真を撮るようになって、色々気づかせてくれたから。

これはやはり、祖父のおかげだと思う。
 


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今年の夏に芸術学舎の『写真で「町」を元気にする! ローカルフォト講座』に参加しました。

『ローカルフォトとは「地方の写真」。いま、地方を知ってもらうための情報発信ツールとして、さまざまな表現を生んでいます。本講座では、写真による地方活性化プロジェクトに取り組んでいる写真家MOTOKOと、写真評論家のタカザワケンジが実例を交えながらこれまで写真がどのように地域を表現してきたかを論じます。さらに真鶴町(神奈川県)で実習を行うことで、地域との関わり方のヒントや、撮影技術と表現力を向上させるきっかけをつかむことを目標としています。地元や故郷、愛する場所を写真で表現し、多くの人にその魅力を知ってほしいと考える方の受講をお待ちしています。』

お知り合いの方が去年何人か受講されていてとても楽しそうだったことと
地域活性化に興味があったので、今年は思い切って参加してみました。

最初にローカルフォトとは何か?
という講義と、真鶴について理解を促す講義がありました。

講義を受けて、 まずはそのバックボーンを知ること、理解する姿勢を取ること
その上でどうその町の人を撮るか?どう表現するか?を考えていくことが大事だなと思いました。

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真鶴は本当に素敵な町で、
ただその魅力は、真鶴の人々にとっては普遍的なもので、とりたてて特別感がないもの、
のように思っているような気がしました。

自分で迷いがあったのは、この前の沖縄の話にも通じるのですが、
中の人たちに宿る町の息遣いを表現するのがいいのか、
それとも外から見た人間としてのフィルターを通して町の魅力を切り取るのか
どちらがいいのだろうか?

ということでした。

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実際は、自分がそこまでの撮影技術もないので、ただ対象物や被写体を「撮る」ことでいっぱいいっぱいで、
そこまで考えることができませんでした。

ただその中で、私にしか撮ることができないものがあるとしたら・・・
そんなことを考えて手にしたのはやっぱり
「写ルンです」
でした。

レンズの大きなデジタルカメラでばしばしと撮影が進む一方で、
「こちらでも撮っていいですか?」
とカメラを向けると、
みんな少し「あれ?」って顔をしました。
「懐かしいのもってるね」
「いや、いまでもコンビニで売ってるんですよ!」
なんて話をして、
共通認識として、昔はこれで思い出を共有していたよね、
という気持ちがなんとなく表現することができました。

その感じは、なかなかに面白い瞬間でした。

現像してみると、引き伸ばされた写真のそれは、全くいい写真ではなかったです。
でも、自分が感じた「短い、楽しい、夏休みの思い出」が
そこには詰まっていました。 

ばしっとコントラストが決まった港町の写真、切り取られた構図が美しい写真、天真爛漫にカラフルな写真、
人が撮る町の印象は人それぞれですが、
私にとっての真鶴の印象はインスタントカメラでも表現することができました。

ローカルフォトという取り組み自体はとても時間がかかることだと思います。
本当に地域を盛り上げていくということは、
行政や外部から来た人間が都市計画のようにマニュアル化されたメニューやイベントを実施して終わり、では
一過性のもので終わってしまい持続ができないと思います。 
簡単に「地域活性化」という言葉を口にするのがおこがましいと思えるほど、
地道な努力を何年も続けていって、人々の心に浸透させていく作業は、とても難しいと思います。

「写真で人を元気にする」というコンセプトは、
言葉にするととてもシンプルですが、
なかなか難しいと思っています。

それでも、実際に撮影された人には明確に、新たな出会いがあり、
撮影した側にとっても、やはり特別な出来事になったと感じます。
少なくとも自分にとっては、真鶴という町が自分ごとに感じられるようになったし、
こういう、人ごとじゃない感というのは、とても大事なことだと思いました。 

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