あいたむblog

ワインと音楽とアートと写真が好きなあいたむの日常。 たまたま見つけた誰かのために残しておくメモ。

カテゴリ: 2016



多摩モノレールは山梨の若手醸造家グループ「アサンブラージュ」との共催でワイン列車を運行するということで、いってきました。
上北台駅 16:00頃出発 → 多摩センター駅(折り返し) → 立川北駅 17:54頃解散というスケジュールです。
定員150名 という、かなり倍率の高いイベントで、実際3回連続で落選していました。
今回は友達が偶然にも当選したのでご一緒させていただきました。

テーマは「各蔵元のワイン飲み比べ(甲州種とマスカットベーリーA)」と「醸造家の語らいを添えて」だそうです。

アサンブラージュさん(http://www.elevage.jp/)は山梨の若手醸造家のグループです。
他にもいくつかワイナリーのコミュニティーがあるのですが、こちらはメンバーが全員1970年世代の方たちの集いです。
結成当初は若手だったかと思いますが、日本を代表する人気ワイナリーばかりですね。
日本ワインラバーなら垂涎の甲州・マスカットべーリーA飲み比べ。

生産者の方が直接説明&サーブしてくださるのでとても恐縮してしまいます。


開いてる順から次々に出してくださるんですが、当日提供されるワインリストをしばし眺めて、
個人的に飲む順番を推敲します。
どんどん飲んでくと絶対わけわからなくなるので。
私は白が好きなので甲州種だけご紹介します。

・甲州
マルサン葡萄酒 甲州 百2015 かなり濃い。独特の苦味。
マルサンさんは昨年ワイナリーにもお邪魔して、最後ヘロヘロでしたが目がさめる勢いで美味しかったので、また頂くことができて嬉しかったです。百はプレスを強めでしているということで果皮のほろ苦さを強く感じます。

蒼龍葡萄酒 シトラスセント甲州2016 今年の新酒。フレッシュで軽やか。
よくとり鉄で頂くので焼き鳥にあわせる甲州!って勝手に思ってるんですが、今年もフルーティーでいい感じでした。

くらむぼんワイン ソルルケト甲州2016 柑橘系の爽やかさ。
今年のヴィンテージ。ソルルケトも爽やかでドライでシュッとしている印象。繊細な味なので白身魚やカルパッチョなどと合わせるのがいいかなぁと思います。

アルプスワイン Japanese style Wine 甲州2015 透明感がある、THE甲州系
スタンダードな甲州だと思います。色々こねくり回してない王道のスタイル、でも味は現代的な仕上がりというか、嫌みのない素敵な辛口で好きです。

塩山洋酒 甲州おりがらみ2016 無濾過でにごり。やや洋梨みたいな乳酸感
重川、ザルツベルグの表現とは全く異なるニュアンスで、こちらも面白かったです。

麻屋葡萄酒 勝沼甲州シュールリー2015 スタイリッシュ系しっかり辛口
深い果実味の味わいと奥深さ、コクのようなしっかりとした旨みを感じます。甲州とシュールリー製法ってやっぱり良いですね〜。後ろの方に持ってきても全く問題ない(私は)

ドメーヌQ ドメーヌQ φ 2015 甲州・ピノノワール・トレッビアーノ。ものすごい取りあわせ。
ドメーヌQさんのは前週にもいただいていたのですが、ご本人から頂けるとまた美味しさも格別ですね。



参加された方はいかにもなワイン好きという方はそんなに多くなくて、電車好きの人も結構多くいたようです。
気づけばモノレールの夜景とほろ酔い気分で、なかなか味わえない空気感でした。
こういうイベントに参加すると・・・行きたくなります・・・勝沼。



来年、京都造形芸術大学が開催している芸術学舎のプログラム
「ゼロから始める写真集づくり」
に参加する予定です。

写真集を「写真を撮影する技術」「写真を作品として構成する力」を学ばせていただけるそうです。
先生は大好きな赤城先生とタカザワ先生ですが、たぶん当日超緊張すると思う。

2015年、2016年と
自分なんてまだまだっす・・・
と思いながら、でも制作欲は徐々に、一定数、存在していて

もし自分が写真集を出すとしたら、作品制作をするとしたら、何を主題にするか?
を今年1年考えていました。

正直な話、今年は写真撮影をする行為に対し、
精神的にストレスを感じることが多く、
一時期は全くカメラを触っていませんでした。

ただ、そんなときに巷で見かけた「写ルンです」を何の気もなしに買ってみて、なんとなくカチカチやってみた所、
その気軽さに救われたと言うか、写真を撮るときの楽しさみたいなものがよみがえってきたんです。

私にとっての「写真撮影」の原点は絶対に「写ルンです」で、高校時代には毎日インスタントカメラで写真を撮って、
それこそプリクラ撮るよりぜんぜん嵌っていました 。

「いちばん自分が落ち着ける場所」はもしかしたらここかもしれない…
そんな風に考えて最近はやけにインスタントでパシャパシャやってます。


で、そんな自分が何をテーマにするのか、と言うことを考えたときに撮りたいのは
「404.Not Found.」的なものかな…と思いました。

このキーワードは、ある種死のキーワードだと思っています。

自分が僭越ながら10年以上インターネットという空間の中で生き、生業としていること。
そして必ず向き合わなければならないサービスの死、クローズ、ということ。

建物を壊すのはある程度時間がかかると思いますが、ネットの世界では一瞬で全てが無になります。

普遍的なイメージを見つけて、消えていくことの残酷性を、切り刻んで見たいと思っています。

具体的にこれ、と言うことは難しいんですが
例えば下北沢の北口の商店街のような、もう風前の灯、消えること前提で全てが動いている地域とか、
確実に一時代を築いたけれど今となっては誰も口にすることもない、忘れ去られてしまった商品とか、
でしょうか…。

明確なイメージはあるんですがそれをうまく画面として見出す決め手がまだ定まっていないので、変わるかもしれません。

でもやって見たいと思うことのひとつはフィルムで撮ってみるっていうことです。

できるかなー。
やってみたいです。 

個人的に今年1番衝撃を受けたと言うととても薄っぺらい印象になってしまうのですが、
面食らってしまった展覧会の1位は旧東京都写真美術館、現TOP Museumの「杉本博司 ロスト・ヒューマン展」です。

杉本博司は1970年代からニューヨークを拠点とし、〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉などの大型カメラを用いた精緻な写真表現で国際的に高い評価を得ているアーティストです。
近年は歴史をテーマにした論考に基づく展覧会や、国内外の建築作品を手がけ、空間デザインや寺社仏閣のリノベーションのプロジェクトや舞台とアートの融合に参画されるなど、幅広い分野で活躍されています。
自分の周りに杉本さんファンが多いので、好意的な視点で見てしまいますね。


この展覧会では3部構成の形を取っています。
シリーズ<今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない> 3階展示室

「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という杉本自身のテキストを携え、文明が終わる33のシナリオ(《理想主義者》《比較宗教学者》《宇宙物理学者》など)と共に、遺物と化した歴史や文明についてのインスタレーションを巡り歩きます。
これは2014年パレ・ド・トーキョー(パリ)で発表し、好評を博した展覧会"Aujourd'hui, le monde est mort [Lost Human Genetic Archive]"を東京ヴァージョンとして新たに制作したものです。
自身の作品や蒐集した古美術、化石、書籍、歴史的資料等を33のシナリオと共に展示しています。
現実にはありえないと一笑してしまうような滑稽な物語を連続して見ているうちに、
固定概念の上に成り立つ文明や認識、現代社会について再考する瞬間があります。

面白いのがこれらのシナリオの文字ですが、33人の異なるアーティスト、芸能人、作家、建築家…などに協力していただいて文字を書いてもらったそうです。

このインパクトが強烈過ぎて、私は写真作品を見にきたのにブラックユーモアの遊園地に来てしまったのか、、、と錯覚してしまうほどでした。

シリーズ<廃墟劇場> 2階展示室 
<廃墟劇場 Abandoned Theater>は、1970年代から制作している<劇場>が発展した新シリーズ。
アメリカ各地の映画鑑賞環境の激変などから廃墟と化した映画館を探し出し、スクリーンを張り直し、作家自ら歴史の終わりを主眼に選んだ映画を投影し、上映一本分の光量で露光した作品。撮影時に上映した映画について、作家自らの解説文が付されています。

8×10大型カメラによる長時間露光。
1回で撮ったのか、何度も撮り直したか…は分かりませんが、そんな発想全く思い浮かばない。
スクリーンに映るのはすべて「真っ白」な空間。
かつて栄華を極めた映画館という娯楽の空間が、現代においては廃墟と化し、いずれ忘れ去られてしまう。
朽ちていく空間と、白く輝くスクリーンのアンバランスさ。
そして、暗室のように暗い展示室にピンライトであてられた照明。
「映像」という技術が世に生まれてから、時を越えていくほどに、インスタントなものに、普遍的なものになり、もはや「箱」が必要なくなる…。

今回の作品展示には「時間」という概念を強調するような作品が多かったです。

シリーズ<仏の海> 2階展示室
京都 蓮華王院本堂(通称、三十三間堂)の千手観音を撮影した<仏の海>の待望の大判作品による新インスタレーションです。
神聖化された寺社仏閣においては基本的に撮影禁止が多いですが、7年かけて撮影交渉をされたそうです。
一面に並べられた観音像の数の力に圧倒されました。
三十三間堂なのかな、と気づくまでに、暫し時間がかかりました。
「廃墟劇場」の裏側に展示されていたのですが、ひんやりとした空気が、より一層作品の持つ静謐さを協調しているようでした。
超平面的な世界の中に見る極楽浄土。
かつてメディアという媒体がない時代に生きていた自分たちの祖先は、仏像や曼荼羅を通じて過去と現在を見据え、死後と言う未来に希望を馳せた…
巡り巡って絵画から写真、映像という技術革新の末に大量消費社会が到来し、それから150年程が経った時代に生きている私たちの時代に起きているデジタル化という事象。
イメージはいくらでも加工し変化を加えることができると生まれながらに知っている世代ではありますが、それでも時の流れは止めることができない。
全ては固有のものではなく過ぎ去るものである。
そんなことを、この展覧会を通して感じました。

杉本さんのインタビューがこちらに載っているので興味のある方はぜひ。。



今年読んだ本の割合としては、30%写真系(図録や写真集も含む)、30%哲学入門系、30%美術系、10%そのほか、でした。

そのうち、写真系の本の何点かは、多少は自分の言葉で伝えられるかな・・・。
という位には読み込むことができたので、何点かご紹介したいと思います。
第1弾はこちら。

飯沢 耕太郎
河出書房新社
2009-12-11






著者の飯沢耕太郎氏は日本の写真評論を牽引する写真評論家です。

本作は「写真とは何か」という問いに対し、瞬間を切り取る行為を「神話的想像力」「死者(あるいは死、瞬間を殺す)」と結びつけ論じています。
また、写真史における代表作品を読解し、写真表現の魅力と可能性を展開しています。

目次(章タイトル)は以下のとおりです。

序 写真と神話的想像力
1 切断と反覆
2〈写真ショック〉のゆくえ
3 モノに憑かれた写真家たち
4 イポリット・バヤールの呪い
5 コスチュームとしてのヌード
6 寄り添いの作法
7 もう一つの風景写真──柴田敏雄論
8 沖縄の地霊(ゲニウス・ロキ)
9 写真と死者
あとがき

写真の誕生という内容の中で、原理の説明・進化等を体系的に論じられています。

著者の主張で特に印象に残ったのは「沖縄の地霊(ゲニウス・ロキ)」の章における2002年7月6日から28日まで浦添市美術館で開催された「東松照明展:沖縄マンダラ」でのパネルディスカッションの記述です。
東松照明、荒木経惟、森山大道、中平卓馬といった日本を代表する写真家と、島尾伸三、石川真生、石内都、比嘉豊光という沖縄出身の写真家達の言葉の対比は、外側から見た「表象(イメージ)の画」と内側から見た「現実(リアル)な画」の差異を語っています。

暴力的なまでに強烈な「生の沖縄」は次の瞬間には死んでしまうような危うさをはらみ、上側だけ掬い取るような意図ではけして撮ることができない一方で、幻想的な神話性が増す作品を撮ることは、中にいると見えてこないのかもしれないと感じました。

同様の感想を、同じく沖縄出身の写真家である石川竜一の『絶景のポリフォニー』に見たことを思い出しました。彼の作品も暴力的なまでの生の記録であり、大和的視点における『沖縄』という文脈からの境界線を感じたのです。

写真技術という一見誰もが手軽に扱える道具。
作品の中に存在する個々人の想像性、「見る=考える」という行為に写真作品の醍醐味があるということ。
「切断」する側の視点により全く異なる映像として存在し、増殖し続けます。

被写体に対しての意味づけをする行為により作品に新たな存在価値を見出す過程と、受け取る側がどう感じるか。
各々が持つ「神話的想像力」の重要性を実感しました。





デジタルよりはアナログなんだろう

京都は四条の辺りの繁華街に電気屋がないんですよ。本当あれどうにかしたほうがいい。
で、くさくさしながらわざわざ京都の駅間のヨドバシ?ビックカメラで所用を済ませて、なんの気もなしにふらふらとカメラのところに来たら、売ってたんです、面白ブツ。

ILFORDのインスタントカメラ。
カメラが好きな人は割と食いついてくれる系。

まだ現像してないですが、カラーにもできるそうで
折角だからモノクロとカラー2種類で出してもらおうかな。

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