Robert Frank: Books and Films, 1947-2016 in Tokyo
という展覧会が上野の東京藝術大学大学美術館 陳列館で開催されていました。
写真好きなお友達が皆さん行かれて絶賛されてたので(しかも無料)、The Americansしか知らないのですが、行って来ました。
コンセプトとして、ロバート・フランク自身、美術館やギャラリーに収蔵されている作品群は貸し出しに高い保険料がかけられることから展示の機会が少ない現状を解消することを目的として、学校や美術館など公共性の高い場所を会場として世界50都市を巡回しているそうです。
更に作品は安価な新聞紙にプリントされ、会期終了と共に破棄される、という、作品に対する価値の意味(一方では保険をかけるほど貴重なものとして扱われ、一方ではゴミとして棄てられる、しかし写っているのは同じモノ)を問う、刺激的な試みです。
ゲルハルト・シュタイデルとの共同企画として世界を巡回している本展のうち、東京展は東京藝大の学生達が展示制作や広報を担当したそうで、教育普及という観点からも学びのある展示だと感じました。
土曜日の午後に行きましたがとても盛況でした。会期が短いため、最終日はとても混雑したそうです。
展示は映像作品と新聞紙にプリントされたポラロイドの写真や往年の作品が展示されており、写真表現というものについてとても考えさせられました。
特に 最近見に行ったトーマス・ルフもデジタルによる作品群を展開していますが、メディアに対する境界線をフラットにしているようでとても興奮したのですが、こちらは写真としての美術的価値に対する対抗、挑戦的な意識を感じました。
(同じことを私がやっても全く意味をなさないというところでは、ロバート・フランクの作品、という時点で既に象徴化されている気もしますが。)
・情報伝達はもはやテキストではなくイメージである
・リアリズムと言われる写真にヴィジョンを持たせることで良い写真を作れる
と、キャプションに書かれていたのですが、文字にすると何となく分かるような分からないような、でもそれを実際に表象化していくのはとても困難で、毎回課題を感じるばかりです。
個人的には『London/Wales』の表紙の作品、明確な境界線のイメージに、衝撃を受けました。
労働者とブルジョワ。
持つものと持たざるもの。
報道写真ではないけど非常にシニカルな視点。
最近、境界線についてずっと考えていたのですが、一連の作品群に自分が思っていることが全て集約されているように感じて、とても共鳴しました。
最後に…階段のところで流されていたExile On Main St.が最高に格好良かったです。
今年は写真の大型展が多くとても参考になりました。
作家の意向やイメージを明確に表現する場としての展覧会は、やはりとても面白いと思いました。