個人的な興味関心から、対話型鑑賞のワークショップに細々と参加をしている。

対話型鑑賞で大事なのは、ファシリテーターが作品理解をどれほど続けているかなんだと思う。
その場に集まる人は不特定多数で、言わばアドリブのパフォーマンスアートみたいに、どんな言葉が出てくるかわからない。
だからこそうまくコントロールしキャッチアップするスキルが必要。

今日は誘導の部分からオーディエンスの興味関心をうまく引きつけ、それを言葉にして引き出し、作品を鑑賞する時にいかに言葉を当てはめていくか、また世界観をどう理解させるか、がとても良くて、感動してしまった。

美術は、作品制作だけがアートではなくて、自分をどう表現するか、ということの一つの引き出しを作る手段だ。
そして、作るだけじゃなくて、他者の表現を見たり聞いたり話したりして、幅を広げていく行為だと思う。

子供達があんな風に無邪気な笑顔で、自由に、好きなように表現しているのを見て、自分の器の小ささに恥ずかしくなったり、その自由さが羨ましいと思ったり、した。

それはとてもキラキラと輝いていて、美しいと感じた。

そして、誰かが命をかけて制作したものを、見る意味があると理解して、いかに見せるかを考えて、人に伝えていくという一連の行為は、知れば知るほど魅力的に写るし、関わり続けたいと思ってしまう。

したい事とできることは違うと理解はしてもどこかで期待してしまうのはただの悪あがきかもしれない。

それでもあんなに美しい光景を見つけてしまうと、またその瞬間を目にしたいと欲張りになってしまう。

いつかこのことをちゃんとまとめてみたい。