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何人かには既に話していますが、昨年から「博物館学芸員資格」に挑戦していました。

仕事柄、分散する情報をいかに集約しアクセスしやすい状況を作るか、ということは、それ自体自分がここ10年位気になっていたことで、実現したいことでもありました。
今の会社に入ったのも、検索を基にした社会基盤の構築に参加したいと思っていたからです。
ただ、「性善説」気味な思考に偏りがちな自分はインターネット利用における闇の部分を軽視しがちで、よく指摘されていました。光と影、その「本質」の部分についても、確信を持てないと悩んでいました。
また、ツイッターで見かけたこの一文が、実はずっと気になっていました。

(もう4年も前のつぶやきを今でも覚えてるのがちょっと我ながらきもいw)
この方のおっしゃる「キュレーション」とは言うまでもなく作品を収集し、調査し、管理し、保存するという学芸員としての仕事を指します。その意味で、本当の意味での「キュレーション」という言葉が変化し、「選択」する行為が重視されているようです。

ネット上に存在するコンテンツは粒子のように夥しい数があり、「取捨選択」するには「検索結果」しかないので、新たな概念として検索結果のレーティングに人の手を加え再集約するという仕組みを作り、
「キュレーション」と名付けた人がいました。
 
勿論キュレーションの本来の意味を踏襲していてのことで、日本だけでなく海外でもその言葉は認知されています。
特にデバイスの変化によって人と情報との向き合い方が大幅に変わりつつあるなかで、共通認識としての情報の共有から、パーソナライズ化された情報のセンテンスを消費する時代にとっては収まりの良い概念だと思いますし、個人的には支持しています。
しかしながら、インターネット上の「情報」を「価値」として見いだす行為のその先にある「本質」とは何だろうということと、一方で、その「本質」は利用者から「必要」とされるかということについて、うまい回答を自分の中で見つけることはなかなかできません。
 
その時、改めて「キュレーション」と向き合おうと思うようになりました。
頭のいい人ならそんなことしなくてもわかるだろうし、他のアプローチも勿論あったかもしれない、けれど自分にはその考えが燦然と輝いていました。
でも、仕事をしながら勉強なんて出来るんだろうか…とずっと悩んで、毎年この時期になると考えて、2年程経った頃。
「子供が出来る前にやりたいことやった方が良いと思う」、という友達からの素敵なアドバイスを受けました。
確かに、自分も気づいたらいい年になっていて、これを最後のチャンスと通信教育で京都造形芸術大学の博物館学芸員資格課程に申し込むことにしました。

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正直言って、担当教員の方も言っていましたが、学芸員の勉強を1年でというのは鬼でした。
私もなめてました。
案の定きつかったです。


博物館学芸員資格を取得するには、9つの単元が必要でした。
博物館概論
博物館資料論
博物館経営論
博物館生涯学習概論
博物館情報・メディア論
博物館教育論
博物館資料保存論
博物館展示論
美術史概論
そして博物館実習。
どの科目も初めて知ることばかり。


1年間学んでみて、研究機関と社会還元を目的としている博物館という箱の中での思考プロセスと、インターネットという実際に場所を必要とせずにコンテンツを表示して収益を得る仕組みでは、価値観の方向性が根本的に異なりました。
当然ですがこれが学問であり研究の一つであるという考え方に慣れるまで時間がかかり、それ故に理解度も遅かったと思います。
一方で、研究機関側も長期にわたる財政悪化の改善のためにアウトソースによる合理化や収益目標重視の施策を行う(ことに対する反発もある)など、変化しつつある過渡期であるということを知りました。
また、アート×テクノロジーの融合が、断片的に起きていて、まだつながってはいないけれどこちらも試行錯誤を繰り返していて、非常に大きな課題もあるということも知りました。

私が知りえたこと自体、砂粒の1つの点のようなものでしたが、その小さな社会の中では矛盾を沢山はらみ、もがいているということを知りました。
私がいる世界も砂粒の1点ではありますが、インターネットを取り巻く世界は考え方がとても自由で、ある意味破天荒で、刺激的な場所で、本当に恵まれているということを改めて自覚しました。

一方で、ミュージアムとWebサイトは「作品(コンテンツ)としての資料を取り扱っている」という事実において似ているということに最後の最後に気づきました。
そして、第三者が作品(コンテンツ)としての資料を選ぶには選ぶ根拠を示し、作成者が伝えたい本質を掴み取る努力をし、後世に語り続けることが必要だということを身をもって知りました。

それは最後の最後まで苦戦していた美術史概論で「エドゥアール・マネ」の《草上の昼食》について解説レポートをしたときにようやくわかりました。 

詳細は省きますが、作品や作家を語る上ではその人だけでなく歴史的背景や宗教、世界観、文化などのバックグラウンドを読み解くことが非常に大事である

ということを教えていただきました。 

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今回の学びが自分の仕事に直結するかはわかりません。
しかしながら、物事の捉え方についてとても良い影響を与えていただきました。
また、社会に出て自分がいかに狭い世界で生きていたかを改めて自覚しました。
ログデータで小さな点になる人々は、本当に人それぞれの動き方をしていて、
行動パターンも考え方も人それぞれで、成功パターンを組むのは難しい
と思いました。

それでも、Webサービスと共存することで、人の生活に対して貢献し、人が生きた証を残していくことに挑戦していきたいです。

そして、最後に。
人はいつでもチャレンジできる、ということを示してくれた自分の師匠に出会えて良かったと思います。
そして彼の門下生として自分も自分のフィールドでちゃんと成果を出していきたいと思いました。
年明けにも思ったけど改めて。貪欲にいきます。

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