あいたむblog

ワインと音楽とアートと写真が好きなあいたむの日常。 たまたま見つけた誰かのために残しておくメモ。

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私はロンドンが好きです!
これまで、自分が海外に行くとしたらフランス(語圏)か韓国か、という感じでしたが
去年に初めてUKに入国してから、大好きになりました。

ただ自分がこれまで若干不服だったのは、
メジャーなワインしか無い
ことでした。

デパートとかスーパーとか行っても、レアなワインがあるわけでもなく、
日本で流通してるものばかりだなーと思っていました。 
(Bond Street沿いにあるM&Sは割と良かった。唯一日本の甲州、くらむぼんのソルルケトが置いてありました)

それでロンドン市内のワインショップに行ってみたところあるワインショップがものすごくお得&品揃えがよかったのでご紹介します。

Liverpool Street駅のすぐ近くにある、『Uncorked』というお店です。
http://www.uncorked.co.uk/buying-from-us/bishopsgate-shop

ちょうどホリデーシーズンだったので、シャンパーニュの取り扱いが多分これまで見た中で1番でした!
しかもしかも、すごいのが、本当によくみるモエシャン&ヴーヴがほぼ取り扱いがなくて、目の前にあったのはビルカールサルモンやゴセにジャクソン!
フルーリーペール&フィスもありました。
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 センス良すぎくないですか。
お店に入った瞬間に、「あ、この店はできる・・・!(何が)」 って感じで
めっちゃニヤニヤしていたらお店の人に「そんなに嬉しいことでもあったのか」と言われてしまいました。 

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しかもマグナムがごろごろ転がってるのもすごい。東京でもこんな店はなかなかないと思います。
ブルゴーニュやボルドー、イタリア系も充実していました。
そして値段がかなりリーズナブルだと思います。

ロンドンだとBBRが有名だと思いますが、もし美味しいワインを買ってホテルで飲みたい、とか
お土産にワインを買って帰りたいワインラバーの方はこちらのお店を一度訪れることをお勧めいたします。
私は次に来る時も必ず行きます♪ 




原宿のAM(http://am-project.jp/) にて開催されていた
石川竜一氏の写真展『okinawan portraits 2012-2016』とトークイベント に行ってきました。



以前どなたかに紹介されてみた『絶景のポリフォニー』を見て、
なんとも言えないリアルさに心が締め付けられたのを覚えています。
それから川崎市民ミュージアムの木村伊兵衛賞 40周年記念展でプリントを初めてみて、
サイズの大きさや独特のライブ感に、ゾクゾクしました。
少しマイノリティーな、でも非常にリアルな、沖縄の人々のポートレイト。
普段旅行では見ることができないかもしれない、自分とは真逆の世界観が映し出されていて、
それから、沖縄を題材にして撮影した写真家たちの写真を幾つか見るようになりました。

私の感じたこの衝撃は、大和とウチナーという、外から見た世界と、内側から発する世界にいるという立ち位置の違いなんだろうか、と思っていました。

でもそれは、それ自体がステレオタイプな発想なんだな、と、石川さんのお話を聞いていて分かりました。



石川さんは、ご自身で、
「写真を撮ることでこの世界で生きている気がして」、
「どこに行くにも、郵便ポストに郵便を出しにいくのでも、カメラが無いと何となく落ち着かない」
とおっしゃっていました。
また、写真を撮る意味については、
「人とコミュニケーションを図るために必要なもの」で、
ポートレイトを撮るときにも、ある程度会話をしてから撮影されているようです。
また本当に撮りたいと思った人には、何年もかけて交渉するなど、なかなか熱心だと思いました。
でも途中で、「撮影したいからその人に会っているのか、その人に会いたいから撮影しているのか分からなくなるという悩みがある」ということもおっしゃっていて、
対象となるモデルの人にそこまで執着されるのはすごいと思いました。


自分は写真を見るのも好きだし、撮るのも好きだけれど、完成するモノにばかり気を取られてしまって、
撮られる人とどうコミュニケーションをとるか、までは頭が回っていないことが多いです。
意識が自分の中にあって、その中で誰かや何か対象物を捉えようとしてしまうのだと思います。
そのため、写真における客観性(主観の排除)をどうすれば表現できるのか?をずっと課題に感じているのですが、お話を聞いていて、どちらかというと、相手の中に入り込んでいく作業がより重要なのかもしれないと思いました。
最終的には自意識が投影されてしまうとしても、その人の瞬間をどう引き出していくか、には相手を理解するというか受け入れることが大事なのかもしれないと感じました。

最後に少しだけお話をさせていただいたのですが、あまり難しく考えずに、
自分の好きなものや好きな人たちをずっと追っかけていくといいと思う、ということをおっしゃっていました。
この言葉は、私が大好きな写真家のMOTOKOさんも同じ意味のことをおっしゃっていて、
多分自分に今一番欠けていて、取り組まなければいけないことなのかもしれないな、と思いました。


最近持ち歩いてるチェキで撮影させていただきました。
恐れ多い。
『楽しく撮っていきましょう』と言っていただいた。
何だか今年1年かかっていた呪いが解けたような気がしました。
がんばろう。

最近世田谷によく出没しています。
世田谷区は南北に長く、区内に私鉄が東西を横断しているゆえに
南北移動が難しいので、バスが発達しています。 

で、成城学園前から渋谷行きのバスの中で、学生(中〜大学生)のおしゃべりと共に小一時間揺られることが多いです。

私は自分が関わるサービスが比較的若年層をターゲットにする(というか必然的にそうなる)ことが多いので、若い子が今何考えてるかとかとても気になります。
なので、何の用もなくマックやスタバに行ったりすることがありますが、
バスの中の何気無い会話も、とても参考になるなぁ〜と思いました。

そこで話題になるのは面白かったドラマのシーンや、漫画の話、KPOPやアイドル、恋話、お菓子の話なんかが多いです。 
TwitterやFacebookの話はあんまりしてませんが、LINEやInstaやSNOWの話はめっちゃしてます。
その中で、こええなぁ〜・・・・と思ったことが幾つかあったので、メモ代わりに書いておきます。

本当にあったスタンプのちょっとだけ怖い話(少しだけフェイク入れてます)
ポニテJK「スタンプ最近全然買ってない〜」
黒髪JK「いつも同じやつ送ってくんなし」
ポニテJK「かわいいやつしか使わんよね。いつも使うやつだけ残して、あとは削除できればいいのに」
黒髪JK「それな」
ポニテJK「無料のやつとかも取るけど結局使えないの多いよね〜。はい消しはい消し」
(ポニテJK、ずっとスタンプの整理をしながら無料のスタンプを消し続ける)
ポニテJK「てか××(人名)の使うスタンプずれてない?まぢキモさしかないんだけど」
黒髪JK「あ〜思った〜タイミングもなしな時多いよね〜」
ポニテJK「普通に話してる時はいいんだけどチョイスがないわ〜」
黒髪JK「リアルで会ってる時にもよく使ってるあのキモいおっさんみたいなスタンプに見えてくる時あるわ」
ポニテJK「それはないw」


この話を聞いててうすら怖くなったのは、
スタンプのチョイスとタイミングで人格否定されてしまうことでした。

ケータイのデコメは基本的に可愛いことが前提にあった=今のようにキモカワみたいなブームはなかった
ので、ぶりっ子に見えることはあってもキモいとは思われない世界観でした。
でもスマホの。。。ってかLINEのスタンプは性別や国籍に特化しないテイストのイラストで始めたことに由来して結果的に全体のテイストがそれに引っ張られている気がします。
DL数や利用傾向を見ると比較的女性は可愛い系を使っていると思いますが、
ネタでキモいスタンプをDLすることもありますよね。
今自分のスタンプを見たらキモいのばっかりで若干凹みました。女子力←

昔はその人の個性ってファッションや髪型が第一で、次に音楽とか趣味とかで
この人いけてる、とかダサい、とか判断されてたと思うんですが、
最近はオンライン上の人格で判断されることが多いんだろうな〜と感じました。
ネットやLINEでも潜在的に求められているペルソナを守らないといけないのは息苦しいな、
だからTwitterでサブ垢たくさん作るんだろうな、と改めて思いました。

今年は色々な所の写真の展示を見に行きましたが、自分の中で1つ選べと言われたら、これを選びます。

Serious performance art, portraiture, or simply posing for a photograph… what does it mean to perform for the camera?


TATE MODERNで開催された
Performing for the camera
という展覧会。
写真技術が誕生した時代から1960年代のハプニングアート、そして現代のセルフィーまでを題材にしていました。
500点もの作品展示は、本当に見応えがあり、2時間以上かかりました。
イヴクラインや草間彌生など、パフォーマンスアーティストが写真をどう使ったか?
と、
写真家が写真というツールでどうパフォーマンスをしたか?
ということがテーマになっています。

特にセルフポートレートの展示が面白かったです。
日本人の写真家の方も沢山ありました!
細江英公さんのかまいたちのシリーズはまるまる一部屋使って紹介されていて、あの時代の日本人写真家に対するヨーロッパ側の評価の高さを改めて感じました。
深瀬昌久さんや東京るまん℃さんの作品もありました。

またナダールのコスチュームポートレートの写真もあってすごく貴重な作品を沢山見ることができました。

最後にInstagramの展示があって、それがiPadでご自由に見てどうぞ、て感じだったのが、面白すぎました。Amalia Ulmanというアーティスト兼インスタグラマーを紹介してるのですが、彼女が3つのペルソナを表現することで、フォロワーからの視線、承認欲求…などをシニカルに演出していました。

ここまで大規模な展覧会は日本ではまずできないので、本当に行けてよかっだと思いました。
そして何のために写真を撮るのか、そこにどんな意味をつけるのか、を考えて撮ることの大事さを改めて感じました。



アートは誰のためのものなのか?
最近そんなことばかり考えている。

この前のロバート・フランク展の開催趣旨が資本主義社会における芸術作品の取り扱いについてのアンチテーゼを感じ、ここ数年もやもやしていた違和感と同期して、やはりアーティスト側も同じように思う人もいるのか、と思ってしまった。

例えば資本主義社会から逃げるようにタヒチで原始主義的な絵画を作成したゴーギャンや
拝金主義を社会の恥部として否定的な思想を持っていたピサロや
労働者と階級社会を皮肉的に扱ったスーラは
自分たちの作品が死後100年程たってからこんな風に文化芸術活動という名目のもとで金儲けの道具になっていることを知ったら
どう思うのか?

話題づくりを目的とした、
有名俳優による音声ガイド、
あふれ返るプリントにプリントを重ねた安っぽい商品、
有名レストランとのコラボメニュー。

何だかなあ。と思ってしまう。

マーケティングとしてのアートイベント
地域活性化としてのアートイベント

物珍しさが無くなり飽和状態になりつつある今、そろそろアートイベントバブルも終焉を迎えるかもね。

アートを踏み台にして色んな欲望が見え過ぎるようになってしまった。

投資としての商品と割り切れたらもっと良いのかもしれないけど、作家側の創作意欲を金儲けの道具にしてしまう資本主義とは一体何なのか、誰を幸せにするのか、最近はそんなことばかり、考えている。

例えば大英博物館なんかは、基本的にはドネーション(寄付)でまかなっている。入場無料ではあるけど、至る所に募金箱があって、そこにお金を入れたりする。
全てがそれでよく回る、とは思わないけど、今の日本の展覧会の現状はちょっと、酷いなあ、と思ってしまう。

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